中途半端な『待ち遠しい』
わたしは高校生です。
中途半端な高校生です。
子どもだけど、
大人じゃない。
大人と子どもの間でゆれ動きながら
早く大人になりたいもどかしさと、子どもであるが故の怠惰と、大人になることへの怖さと、子どもだと言えなくなる寂しさと、
諸々に押しつぶされそうになって、背伸びしたり甘えてみたり。
大人のふりをすればいいのか、子どものふりをすればいいのか、分からない毎日。
でも、雪の降った今日、『大雪による交通の乱れに注意』としきりに言うアナウンサーを横目に見ながら雪が全く待ち遠しくないわたしは、確かに少しずつ大人に近付いているのかも知れないと思いました。
小学生のわたしはきっと、雪が降るというニュースに胸を高鳴らせて、空を見上げながら登校したでしょう。
―――進級、運動会、夏休み、冬休み、誕生日、始業式も、学芸会も、お正月も、もしかしたら給食の揚げパンも―――
ぜんぶぜんぶ、待ち遠しいものたちでした。
季節は同じように毎年毎年巡るのに、
毎年毎年『待ち遠しいもの』が少なくなっていく。
大人になるってこういうこと?
わたしの好きな作家があるエッセイに、
「大人になるということは、子どもの『待ち遠しい』を作る側になるということ」
と書いています。
わたしは誰かの『待ち遠しい』を作る側なのでしょうか?
いや、わたしにその器はありません。
きっと高校生とか大学生とか、大人でもない子どもでもないこの中途半端な時期は、
自分で自分の為に『待ち遠しい』を作っていかなきゃならないんだと思います。
いつか、誰か大切な人が出来た時、その人の『待ち遠しい』を作れるようになるために
『待ち遠しい』が少なくなっていく毎日ですが、わたしは去年の夏になってから、撮りきったフィルム写真が現像から帰ってくるのはとっても待ち遠しいことを知りました。
いつかそれが、わたしが写した家族や大好きな友人、そしていつか出来るかも知れない大切な人の『待ち遠しい』になったら、それはすごく幸せなことだと思います。
ここまで読んでくださったあなたにも、
あなたとあなたの大切な誰かとの『待ち遠しい』ができますように。
わたしはこれから、友だちが写ったフィルムを現像に出してこようと思います。
月嶋 真昼